逆なんてついちゃいるがやってる事は一緒
援助交際に逆を付けて逆援助交際とはよく言ったもんで、実質的には逆と付いているだけで行なっている行為そのものは援助交際となんら変わりのないものである、違いがあるとすれば援助交際の即物的なセックスと逆援助交際の内面的な充実を重視するかどうかの違い程度のもので、結局は己の要望のために他人の貴重な時間をお金の力、つまりは諭吉パワーによってどうにかしようってな自分勝手ななんとも人間らしい行動こそ逆援助交際の本質であり、これに参加する人間も参加しようとする人間もどうしようもなく、どうしようもない状況下に置かれていると言う事を理解しておいた方が、後々のためにも良いだろう。
結果的には金の力である
さて、ここで援助交際と逆援助交際における着目点を少し変更してみよう、たとえば諭吉、新渡戸、夏目と言えば・・・そうだね日本国内における最も強い部類に指定される紙幣のことだね、最近では樋口や野口が追加され引退した聖徳太子の事を知っている人はもはやオッサン、オバサンの部類になる訳だがそれでも国内における紙幣の強さは今更説明する必要はないだろう、具体的な例題を上げるとすればお姉ちゃんが弟にジュースを買いに行かせる際に千円札を出して、アンタの分も買っていいよと言われて断る事のできる弟は決して多くないハズだろう。つまりこの理屈で言えばオッサンが最近の女子高生に対して1万円札を出して、コレで好きなものを買いなさい、その代わりアナタの今履いている靴下を下さい、と言って抗える女子高生は少ないと言う事に繋がるのではないだろうか?
しかし求められる物の違い
逆援助交際と援助交際ではそれぞれ相手の異性(しつこい様だが、この相手が異性ではなく同性であると言う場合も往々にして考えられる事であるが、一旦ココでは無視する事とする)に対して何を求めるのかが大きな違いである、例えば援助交際の場合は即物的に金・セックスの二種類があげられるがソレとは一方的に逆援助交際ともなると『顧客満足度』のように抽象的な『充実感』や『癒し』といった訳のわからないものにまで守備範囲を広げていくため、まったくもって際限が無くなっていく、そもそも自分自身の寂しさを紛らわせる行為を癒しと言って現実逃避をするくらいならばいっそ開き直って男あさりとでも言ってしまえば本人の逆援助交際における息苦しさも緩和されるのではないだろうか?